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2007年の夏

2007年の夏、私はロシアを旅していた。

ウラジオストックからハバロフスクまで北上し、そこから中国との国境沿いを西へ、ベロゴロスク、スコボロディノ、チタ、バイカル湖の畔のウランウデを経由してそこから南下、モンゴルとの国境の街キャフタを越えてウランバートルまで約4000kmのハードな旅だった。

途中、同行のバイクが故障し走行不能になり、シベリア街道を走っていたトラックドライバーのニコライさんにバイクをチタの街まで運んでもらった。トラックの助手席に座った私はしばらく緊張状態だった。それはロシアという国を心のどこかで恐れていたからだろう。しかし、ニコライさんは、「家族はいるか」「疲れているようだがどうした」とロシア語でずっと語り掛けてきた。私は、地球の歩き方を見ながら手帳に絵を描いてそれに答えた。ドライブインでは食事をご馳走になり、「もっと食べろ」「元気を出せ」と元気づけてくれた。

私が元気がなかったのは、2日目にパスポートを紛失し、ビザも含めて再発行に丸1日を要し(普通は三日ほどかかるが日本の領事館のご尽力)、同行者に追いつくため夜行のシベリア鉄道旅もあったためで、彼に出会い蘇ったのは間違いない。

チタに到着しバイクを降ろし、お礼を言うと彼は涙を流していた。そして私を抱きしめて「ウダーチ幸運を祈る」と何度も言ってくれた。私は、スパシーバと繰り返すしかなかった。

私のロシアに対する思い出はこれだけしかないが、ロシア人はニコライさんしか知らないが、彼はきっとプーチンのウクライナ侵略を悲しんでいるに違いない。