Amazonで見つけた「下畑野川公民館30年のあゆみ」
昭和54年3月15日発行。
私はちょうど畑野川中学校を卒業したばかりで、松山の高校へ進学する武市かおりちゃんと二人の壮行会をこの公民館で開いてもらった。その時、誰かが「一曲歌え!」と、当時流行っていた森田公一とトップギャランの「青春時代」を歌ったのを覚えている。今振り返り歌詞を見ると、「青春時代が夢なんて後からほのぼの思うもの 青春時代の真ん中は胸にとげさすことばかり」。ふるさとを離れる者が歌う曲ではなかった。近所の人達はどう思ったかお恥ずかしい。
この記念誌。
たぶん地域の皆さんの家で大切に保管されているだろうが、私は初めて見る。
編集委員長は日野朝幸おいちゃん。磨き丸太を広めた人で、愛犬のスピッツの名前は確かロン。編集には小中学校や役場など多くの懐かしいお名前が。中学校長の上甲計介先生、この年に当時県内一のマンモス校だった松山南中校長へと転勤された三瓶町出身の先生。教頭の小倉忠司先生は地元出身で面白い話ばかりしていた。後に久万町の助役を務めた渡部鬼子雄おいちゃんはこの時、産業課長。多くの懐かしいお名前が並ぶ。
この公民館が建設されたのは昭和23年12月。20年8月の終戦は、日本の社会にかつてない大きな衝撃と混迷を与え、むなしさと不安の日々を過ごす事を余儀なくされた。この中において百余名の青年達が立ち上がり建設させた。この話題は県内に広がり勇気を与えたとも。
私は5歳からこの公民館で剣道を習い始めた。そのホールは今もそのままに。建設から73年、一度道路拡張により位置をずらし、ずいぶんと古さを感じる佇まいとなったが、地域住民の強い連帯感と郷土愛に作られたこの公民館が好きである。
しかし、なぜ東京の古書店にこれが。
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