東日本大震災から10年。
14時26分、黙祷を捧げました。
もう毎年のように記事を投稿している。
当時の記録に目を通しながら記憶を辿る事が大切だと自分自身に言い聞かせるように。
あの日の事を忘れないように。
所属するNPOでの支援の立ち上げは早かった。
燃料や食料を積んだ車両3台を用意したが、関係部署からの緊急車両の承認待ち。
結局、松山を出発したのは17日、発災から6日後であった。
当時、現地へ向かうには高速道路が安全で早かったが、通行できるのは許可車両のみで承認が必要だったのだ。
松山から一気に宮城県へと向う。宮城県庁で保育園への支援物資を下した後、宮城県災害対策課の指示を受けて向かったのは石巻市。
石巻市での死者および行方不明者は3870名。津波によって失われたものはあまりにも甚大だった。
石巻市には震災直後から災害支援豊富なNPOが徐々に集まり、3月20日に「NPO・NGO連絡会」が設立。会議は専修大学石巻キャンパス内の会議室で夜に行われた。
石巻市には震災から1年間に累計28万人のボランティアが集まり、石巻における災害支援活動は「行政」と「災害ボランティアセンター」、そして「
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